ヨーロッパへの伝播と批判
ヘレニズム世界で西洋占星術の原型ができたとしても、それはまだ「西洋」といえるものではない。ヨーロッパに伝わって汎用されて初めて「西洋占星術」と呼ぶにふさわしい。ヘレニズム世界で出来上がってきた占星術をヨーロッパに広めたのはローマ人であった。
ギリシア式占星術がローマにもたらされたのは前2世紀といわれている。他の技術・文化同様にローマ社会はこの占星術をすぐに導入した。その後、ローマは地中海世界やヨーロッパ大陸を征服していった。こうしてヘレニズム占星術はヨーロッパに到達するが、そのころから占星術は最初の批判勢力に出会う。
キリスト教の成長と西洋占星術への攻撃
ローマのポンペイウスは前63年にユダヤを征服したのだが、440年後にはそのローマがユダヤ社会で生まれた一神教に国ごと帰依してしまう。占星術を最初に攻撃したのはその聖職者たちだった。キリスト教では人間は自由に行動を決められる存在であり、だからこそ最後の審判で神様に裁かれる。個人の人生が星の巡りで決まってしまうとしたら、その人が何か悪事をしてもそれは星の巡りのせいであり、とどのつまりは神様のせいになる。私個人は神様に人生のクーリングオフを頼みたいとたまに思ってしまうので結構しっくりくるのだが、彼らはこれが気に入らなかった。前回のプトレマイオスは1世紀末から2世紀後半に活躍した人物だが、ほぼ同じころに初期キリスト教の理論家(「教父」とも言うが)であるタティアノスは占星術を星の位置の図面を人に見せて運命という目に余る不正義(な発想)を導入する背教の材料だと言っている。運命論を主張しちゃダメなのだから、占い全般がダメなのである。そして、彼らの作った教会がローマ帝国の権威になってしまったのだから占星術師たちにとってはまことに残念な時代が到来する。
教会が排除したのは占星術だけじゃなかった
ここまでの議論を見れば問題は判断占星術にあるのであって自然占星術や天文学は教会的にもありなんじゃないかと思えてくる。しかし、ことはそう単純ではない。占星術と天文学が深く結びついていたのは前回のプトレマイオスを見れば明らかで、占星術を異端だといって排斥すると一緒に天文学も追い出すことになってしまう。実際、教会は古代ギリシアやローマの学問の多くを異教徒の怪しい術として否定してしまい、その研究は一時期(といっても1000年ほどなのだが)下火になってしまう。状況が変わるのはレコンキスタや十字軍、地中海貿易を通してイスラムの学問と技術が輸入され始めてからだ。これは占星術にとってある意味追い風になる。